たまに、他人に迷惑を掛けることを異常に避ける人がいる。
身内である家族にでさえも迷惑を掛けたくないらしい。
僕も学生時代に家族に迷惑をかけることを極力避けていたので何となく気持ちはわかりますけど
それって多分“自分一人で私は生きている”っていう自己有能感というか
傲慢さの現れなんじゃないかなと最近感じつつあります。
そして他人に迷惑を掛けたくないっていう気持ちは
自分自身の身動きを取りづらくさせる呪いとなっている気がしますね。
他人に迷惑を掛けられないのはその人を信用していないから
迷惑を掛けられない人って
- 相手がなんて思うかわからない…
- 相手が嫌って言ったら…
こんな風に“相手が”を主語にしがちだと思うんですけど、
本当は違うんですよね。
実際はあなたが”相手を信用していない”んです。
“あなたが”相手を信用していないから、迷惑を掛けられない
でもあなたが相手を信用していないって認めたくないから
相手のせいにしている。
(相手がなんて思うかわからないから迷惑を掛けられない等)
そして最終的に取る行動としては
相手に迷惑を掛けられないから自分で全部やっちゃって
どこかで相手に対して不満を抱く。
そのほうが自分が被害者としていられるので居心地がいいんですよね。
(相手のせいにしていられるから)
自分が何も出来ないことを自覚する
先ほど迷惑を掛けられない人は自分で全部やっちゃうって言いましたけど
そういう人は大抵心のどこかで
- 自分である程度のことはできる
- 自分で自分のことは全部できている
- 自分一人でも生きていける
そう思っています。
簡単に言うと傲慢で自惚れているんですよね。
本当はあなた一人では何も出来ないのに、
大人になるにつれて
お金を稼ぐようになるにつれて、
どこかで自分一人だけで生きてきたと勘違いしてる。
でも実際には人間一人いたところで何も出来ないですよ。
豚や牛を締めてさばくことも出来なければ、
野菜も育てることも出来ない、
誰かが立ち上げた会社がなければ会社員として働くことも出来ない。
そうやって自分の無能さを自覚すると
「自分一人で生きている」なんて思いは恥ずかしいっていつか気づきます。
他人を頼れるのは才能
他人に迷惑を掛ける=他人を頼る
と言い換えることができると思うんですよね。
そして頼れる人が多いということは
そのまま本人にとってのかけがえのない財産になると思います。
一人で全部抱えて物事を進めるよりも
友人を100人頼って物事を進めるほうが良いですよね。
何か人生で困ったことがあった時に一人で抱え込んでしまうよりも
いつでも相談して頼れる人が沢山いるのは心強いですよね。
この”頼る”というのは相手を信用して、
自分の無能さを認めることから始まるので
僕は立派な才能だと思っています。
会社で管理職に回る人も
部下に仕事を適切に振れる人=他人を頼れる人
ですよね。
いつも自分で全部抱えてしまう人は
少し他人を頼ってみることから始めてみてください。
他人に迷惑を掛ける、他人を頼るって結構難しいですよ。
他人に迷惑を掛けることはむしろ善
最後にこの記事のタイトルについて触れておこうと思います。
僕は他人に迷惑を掛けることはむしろいい事だと思っています。
よくある話だと
学生時代真面目な子よりもヤンキーでやんちゃをして手が掛かった子の方が
先生や親から大事にされていたり覚えてもらっていたりしますよね。
先生や親からしたら「迷惑を掛けられた=頼られた」であって、
先生や親という自己の存在理由をヤンキーの子から与えられていたんですよね。
だからヤンキーの子が忘れられないし記憶に残る。
そしてヤンキーの子も迷惑を掛けていた過去に気付き、
反省し立派な大人になることができればそれでいいと思うんですよね。
迷惑を掛けようとして迷惑を掛けるのは少し違うかもしれませんが、
相手を信用して、自分の無能さを認めた上に
相手に迷惑を掛ける、相手を頼るのは本来の人間のあるべき姿だと思っています。
少しでも周りの人を頼っていきましょうね。
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