最近、幸せについてちょっと考えてみたので言語化してみようかなと思います。
幸せって多くの人にとって大事なことで、人生の目的そのものでもあると思うんですよね。
だから、幸せについて理解しておくことは人生をより豊かにできるかどうかに直結します。
僕らは社会的な生き物です。
そのため生きる年代や社会情勢に寄って幸せという概念は大きく左右されてしまいます。
一夫多妻制の大昔であれば、沢山の妻を持てば幸せ。
一夫一妻制であれば、1人の女性を生涯かけて愛することができれば幸せ。
みたいな感じです。
幸せの定義は各人や置かれる社会によって揺れ動きやすいものだと思ってこれ以降の文章を読んでいただければと思います。
最初に相対的な幸せについて。
相対的な幸せ、と言うと理解しがたいので分かりやすく言うと
他者との比較において感じる幸せ
です。
幸せは往々にして自分とそれ以外とを比較します。
年収が500万あって満足いく生活をしていても、
年収1000万ある人の話を耳にすると羨ましく感じてしまいますよね。
何かしらの競技の県大会で優勝しても、全国大会で優勝した人の話を耳にすると羨ましく感じてしまいますよね。
誰かよりお金を持ってるから幸せなのでしょうか?
誰かより優れた結果を残したから幸せなのでしょうか?
そういった幸せは長くは続きません。
なぜなら幸せの土台が他者との比較という相対的なものだからです。
おそらくその幸せは競争や努力、嫉妬、見栄の中で成り立っているものではないでしょうか。
一時的な幸せを手に入れても、また新たな比較対象を見つけて自分が不幸せだと感じ、競争や努力、嫉妬、見栄の衝動に駆られて幸せを目指す。
そんなループにハマってる人、多いんじゃないかな〜って思います。
SNSをしてると嫌でも他者との比較に晒されますからね。
次に絶対的な幸せについてお話します。
絶対的な幸せを言い換えると何でしょう?
気付く幸せ、そこにある幸せ、といったところでしょうか。
実は、幸せって他者と比較なんかしなくても
もうすでにそこにあるんです。
そこにもう既にあるものだということに気付くことができたら幸せなんだと思います。
朝日の気持ちよさ、風の心地よさ、家族の団らん、友達との他愛ない会話、屋根のある生活、服があって凍えない安心、3食困らない生活、健康な身体
気付こうと思えばきりがない程に私達の毎日は幸せに溢れているはずです。
それらは競争や努力、嫉妬、見栄の衝動に駆られて手に入れたものでしょうか?
違いますよね。
その小さな幸せに気付くことができたら一つ一つ感謝する心を持ちましょう。
どこかで何かをしてくれた誰かが今の自分を支えてくれているんです。
もしその感謝の思いを返せる人が近くに居るのであれば少しずつでも返して行きましょう。
それがまたあなたに幸せをもたらしてくれると思います。
既に自分の周りにある、自分の中にある、絶対的な幸せを感じる瞬間を少しずつ増やして行きましょう。
自分の幸せのコップが溢れてきたら、きっとあなたは誰かの空いているコップに注ぎたくなるはずです。