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広告収入というモデルはもうキツイんじゃないだろうか

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世間で名を知られる職業になったYouTuberも広告収入を主にしていますね。

 

YouTubeの合間に広告が流れてきてイライラする、アレです(笑)

 

アレがあるおかげで僕らはYouTubeを無料で見れますし、アレがあるおかげでYouTuberは収入を得られるわけですね。

 

広告主がGoogleに広告料を支払い、その広告を視聴者が見ることでYouTubeは無料で運営され、GoogleがYouTuberに動画視聴に応じた報酬を支払います。

 

最近はそのYouTuberの収益が減ってきていることが話題ですね。

 

YouTuberが増えてきて動画投稿数が増え、

広告を貼り付ける動画の数が増えてきたため、報酬である広告報酬単価が減ったんですね。

 

どれだけYouTuberが増えても視聴者の持っている時間は24時間で平等です。

報酬単価が減るのは当然ですね。

 

競合が増えてきてYouTuberも価格競争の波にさらされているわけです。

 

YouTuberもその状況をどうにかしようと広告収入に頼らない収益を構築しようとしています。

グッズの販売やサロンの運営などです。

 

果たして広告収入というモデルはもうキツイのでしょうか?

 

広告はそもそもそれ自体が価値がないものです。

 

なぜなら広告の機能としては、

ただ単にある商品やサービスを広く知らしめることにあるからです。

 

資本主義社会では、商品そのものを消費して比較することができず、広義の広告を通じて初めて比較できる。ところが、広告は常に商品を広告しているのに、人は広告それ自体の比較をしているのだ。そして、商品同士の差異に還元されない広告そのものの差異を作り出すため、広告自身が価値を有する。更には、商品を語るべき広告自体が商品となって一緒に売り買いされる、二重の存在になるのだ。

広告が形而上学的な奇妙さに満ちている、と考えることは、広告に対する現代の言説とは差異性を持った言説を作り出すのではないか。

 

―引用 「広告の形而上学(岩井克人)」要約

 

広告自体に価値はないですが、

資本主義社会では商品そのものを比較するには広告を比較しないといけません。

 

Aというフライパンが良いかBというフライパンが良いかを判断するには

Aというフライパンの広告とBというフライパンの広告を比較する必要があるんですね。

 

つまり広告の良し悪しがそのまま商品の良し悪しの比較に繋がりその商品が売れるわけです。

 

現代では世の中に広告が溢れ、広告自体も商品として売買され広告自体も価値を持つようになりました。

 

広告自体は価値がないのに、価値を持つ存在になっているんですよね。

 

それは現代の広告が溢れた時代で顕著になっていると思います。

 

 

 

そしてあなたはキチンと広告を見たことがありますか?

 

テレビがいいところでCMに入るとCMを見る気は失せますよね。YouTubeも広告なんてすっ飛ばしたくなりますよね。

 

広告が増え過ぎて供給過多になったことで

僕らが広告を価値があるものとして受け取ることが無くなってきたんですね。

 

じゃあ現代の僕らは広告で商品やサービスの良し悪しを判断していないとしたら何を介して判断しているのでしょうか?

 

1つは口コミです。

 

友達がオススメしてくれた商品やGoogleマップの口コミが良いお店は行きたくなりますよね。

 

広告の質が悪くなり、広告が本当に良い商品やサービスを伝えることが少なくなったので

口コミの価値が相対的に増しました。

 

価値のある商品やサービスを提供していたら自ずと広まるというのは口コミが要因にあると思います。

 

口コミで消費者の購買が決まるとしたら

それではYouTuberのように広告収入を得ている人はどうしたら良いのでしょうか。

 

色んな方法があると思うのですが

 

YouTubeというプラットフォームから脱却し自分でメディアを持ったり

広告を自分が直接募集したり

直接課金に繋がるようなコンテンツを作ったり

 

する必要があると思います。

 

無料のコンテンツが溢れてしまった時代では

消費者がコンテンツにお金を払うという意識が薄れてしまっています。

 

 

漫画や音楽も価値を提供しているので正当に報酬を得ています。

何かしらのサービスを提供しているのであれば正当な報酬を得てみましょう。

 

それが本来あるべき報酬の姿です。

 

脱広告収入!脱無料コンテンツ!

 

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